今回挑んだのは、八ヶ岳の名峰・阿弥陀岳。その南陵を辿る、いわゆる“バリエーションルート”だ。一般登山道とは異なり、整備されたトレースもなければ、道標もない。自分の目と感覚、そして技術を頼りに、雪と岩が入り混じる冬の山肌を登っていく。
特にこのルートの核心は、ロープワークが前提になること。安全を確保しながら一歩ずつ進む感覚は、まるで登山とクライミングの中間点を歩いているようだった。
冬の八ヶ岳で、静かに、でも確かに試される自分。
今回はそのリアルな記録を、装備・技術・ルート・天候、すべてひっくるめて振り返ってみたい。
今回のルート紹介

今回選んだのは、八ヶ岳・阿弥陀岳の南陵を辿るバリエーションルート。一般ルートからは外れた、ロープワーク必須の雪山ルートです。
行動開始は【06:05】。まだ星が瞬く時間帯に出発し、静まり返った森の中をヘッドライトの明かりを頼りに進みます。
【07:55】ごろには南陵の取り付きに到着。アイゼンをしっかり効かせて雪の斜面を登りはじめ、【08:13】には立場岳へ。このあたりから徐々に稜線の風が強まり、雪の硬さや日陰のアイスに気を遣う場面も。
【08:22】〜【08:24】、青ナギにて小休止。八ヶ岳ブルーの空と、眼下に広がる雲海に癒されながら、ここからが本番だと気を引き締め直します。
核心部に入るのは【11:56】ごろ。岩と雪が入り混じるミックス帯ではロープを出し、支点を取りながら慎重に高度を上げていきます。雪庇や踏み抜きに注意しつつ、しっかりとアイゼンを利かせた登攀が続きました。
【12:31】、ついに阿弥陀岳山頂に到着。見上げれば澄み渡る青空、振り返れば歩んできた険しい稜線。静かな達成感が胸に広がる、特別な瞬間です。
下山は御小屋尾根ルートを使用し、【14:13】に御小屋山、【15:19】には下山完了。行動時間はおよそ9時間、雪山ならではの緊張感と達成感を味わう1日となりました。
【バリエーションルート】阿弥陀岳 雪山登山【八ヶ岳】 / HAL9000さんの八ヶ岳(赤岳・硫黄岳・天狗岳)の活動データ | YAMAP / ヤマップ【バリエーションルート】阿弥陀岳 雪山登山【八ヶ岳】 / HAL9000さんの八ヶ岳(赤岳・硫黄岳・天狗岳)の活動データ | YAMAP / ヤマップ
雪山バリエーション・技術的ポイントとリスク

冬の阿弥陀岳・南陵ルートは、一般登山道とは一線を画す“雪山バリエーション”。登山経験だけでなく、ロープワークを含めた確かな技術、そして状況判断力が求められるルートです。
核心部で求められるロープワーク技術

青ナギを過ぎたあたりから岩稜帯に突入し、滑落のリスクが高まります。雪が乗った岩場やナイフリッジ状の地形では、スタカットでの登攀や確保支点の設置が必要となる場面も。懸垂下降に備えてハーネス・確保器・スリングなどを常にアクセスしやすい位置に装備しておくことが重要です。
雪・氷・岩が混在する“ミックス帯”の対応力

このルートの特徴は、雪と岩が入り混じったミックス地形が連続する点。アイゼンの前爪を使った岩登り、雪面ではピッケルの刺し方やバランス取りが問われます。技術の差が安全性に直結するため、「登れる技術」と「落ちない技術」の両方が必要です。
変わりやすい天候と判断力の重要性

青ナギを過ぎ、ロープを出すような岩場に差しかかるあたりから、風が突如として強まりはじめた。晴れていた空が急に曇り出し、稜線に上がる頃には立っているのがやっとのほどの強風。顔に吹きつける雪と氷の粒が痛いほどで、グローブを外すことすらためらわれる寒さだった。
ここから山頂までは、風の通り道にまるごと身を晒すことになる。ロープワークに集中したい場面でも、体温の維持が常に意識の中にある。冷え切った手ではカラビナの操作ももたつくし、判断も鈍る。
このエリアでは、装備や技術以上に「今、進むべきかどうか」という判断力が生死を分ける鍵になると感じた。
八ヶ岳は決して標高が高い山ではない。けれど、風が強く、天気が崩れるのも早い。そしてその変化が、時に人の判断を狂わせる。
登頂を目的としすぎず、「引き返す勇気」を持ち合わせること。それがこの山域での大前提だと、改めて強く思い知らされた時間だった。
登山口から雪壁の取り付きへ|冬山ならではの静寂と緊張感

登山口に立った時、空気はまだどこか穏やかで、標高の低い林道歩きでは薄手のグローブでも汗ばむほどの暖かさだった。前日までに入山したパーティーのトレースがしっかりと残っており、雪も締まっていて歩行はスムーズ。気配は静かで、踏み出す足音と自分の呼吸だけが山に響いていた。
だが、ゆっくりと高度を上げていくにつれて、空気が変わりはじめた。雪壁の取り付きに近づく頃には、風が吹き抜ける音が岩陰から聞こえはじめ、体感気温も一気に低下。核心部に向かうにつれ、フードを被っていても耳の奥まで冷気が刺し込むような寒さとなった。
ロープワークを要する急斜面では、ピッケルを深く刺し、アイゼンの爪を確実に効かせながら、強風に吹き飛ばされないよう姿勢を低く保った。
滑落のリスクを考え、確保支点を取りながらの登攀。グローブ越しでも伝わるロープの張りに、自分の技術と判断力が直に問われている緊張感を感じた。
冬の静けさと風の轟音、そしてその中で一歩一歩登っていく自分。
この瞬間の緊張感と集中こそが、雪山登山の醍醐味なのだと、あらためて思わされた時間だった。
山頂の風景と達成感|冬の静寂に包まれる“特別な瞬間”

強風と寒さ、緊張感の連続だったロープワーク区間を抜け、阿弥陀岳の山頂に立ったとき、あたりはまるで時間が止まったようだった。風が一瞬やみ、雪面が光を反射して白く輝いていた。360度を見渡せる絶景。眼下には南八ヶ岳の山々が重なり、遠くには南アルプスの峰々が冬の陽光の中に連なっていた。
厳しい雪山の道のりを経てたどり着いたこの場所は、言葉では表現しきれないほどの美しさと達成感に満ちていた。
夏の登山とはまったく違う、静けさと張りつめた空気。その中にたたずむと、自分の呼吸の音さえも遠ざかっていくようで、自然と心が落ち着いていく。
風が再び吹き始めたその瞬間、体は凍えるほど寒いのに、心はなぜか温かく、穏やかだった。あの強風の中を進んできた自分が今ここにいる。それだけで十分だった。
冬山の山頂は、ただのゴール地点ではない。
そこは、静寂と自然の厳しさ、そして自分自身との対話が詰まった“特別な場所”だった。
過酷さから一転、やさしい顔を見せた八ヶ岳の帰路

あれほど吹き荒れていた山頂付近の風は、下山を始めた途端に嘘のようにおさまっていた。山は時に試練を与え、そして突然、驚くほど優しい表情を見せる。まさにそのコントラストを体感するような下山路だった。
登りではあれほど慎重に進んだ岩場や雪壁も、帰り道では肩の力が少し抜けて、景色を楽しむ余裕すら生まれる。空はすっきりと晴れ、陽射しに照らされた雪面がキラキラと輝いていた。心なしか、鳥のさえずりや雪のきしむ音までが優しく聞こえる。
体には確かな疲労が残っていたが、登頂の達成感と、無事に山を下りられる安心感がそれを上回っていた。気がつけば、歩くスピードも少しずつ早くなり、どこか名残惜しさを感じながらも、確実に日常へと戻っていく。
山は、厳しさと優しさを同時に教えてくれる。
そしてその振れ幅こそが、冬山登山の魅力なのかもしれない。
今回の山行を振り返って|技術・判断・信頼の登山

阿弥陀岳・南陵ルート——この山行は、ただの“登頂”では終わらなかった。
雪山特有の冷えと風、そしてロープワークを要する岩稜帯。どの場面でも、自分自身の技術の確かさが問われた。そしてそれ以上に、状況に応じた判断力が、登り続けるかどうか、どう動くか、細かく試された山行だった。
特にロープを出してから山頂までの区間では、視界や体感温度の変化、そして風による精神的な圧もあって、気力が削られていく場面もあった。そんな中で大切だったのが、一緒に登る仲間との信頼関係。
お互いの動きを見て、声をかけあい、安全を最優先にして登り切れたのは、信頼があったからこそだと思う。
冬山は決して“慣れ”で登る場所ではない。毎回、環境は変わり、体調も違う。だからこそ、「登る」という行為には常に、準備・技術・判断・そして人とのつながりが必要不可欠だと、改めて実感した。
振り返れば、今回の山行は天候にも恵まれたとは言いがたい。けれど、無事に下山し、経験として次へつながる内容になったのは何よりの成果だった。
これからバリルートの雪山を目指す人へ|伝えたいこと

冬山のバリエーションルートは、美しく、静かで、達成感に満ちています。けれどその一方で、ほんのわずかな判断ミスや装備の不備が、大きなリスクに直結する世界でもあります。
阿弥陀岳・南陵ルートのようなバリルートでは、整備された登山道とは違い、「どこを進むか」「いつ進むか」「進まないという判断を下すか」といった、常に“自分で決める”力が求められます。
そこには経験と技術、そして冷静さが必要不可欠です。

ピッケルやアイゼンの基本操作はもちろん、ロープワークや確保技術を事前にしっかりと身につけておくこと。さらに、パートナーとのコミュニケーションや、状況を共有しながら行動する意識も重要です。ソロで挑むには、技術だけでなくメンタル面でも相当な準備が必要だと思います。
ただし、それらをしっかりと積み重ねていけば、バリルートの冬山は、他にはない特別な景色と達成感をくれる場所になります。
恐れながらも敬意を持って向き合う。それが、このフィールドに立つための第一歩。
自然の偉大さと厳しさ、そして自分の限界を見つめ直す機会として。
ぜひ安全第一で、無理のない計画と装備で、雪山を楽しんでください。
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