
人の少ない新潟百名山・飯士山を選んだ理由

有名な山に人が集まるのは自然なことだけれど、今日はできるだけ静かな場所を歩きたかった。
新潟百名山の中でも、あまり名前が挙がらない飯士山。派手な展望や名物があるわけではないけれど、その分、人も少ない。
「今日はこの山がちょうどいい」
そんな感覚で行き先を決めた。
飯士山とはどんな山か

飯士山は新潟百名山に選ばれているものの、主役級の存在ではない。
標高も手頃で、いわゆる里山に近い雰囲気を持った山だ。
ガイドブックを読んでも強く主張してくる言葉は少なく、むしろ控えめ。
でも、そういう山ほど実際に歩いてみると、印象に残ることがある。
登山口へ|すでに始まっている静けさ

登山口に着くと、思っていた以上に車が少ない。
聞こえるのは風の音と、遠くの鳥の声だけ。
登山口に立った時点で、もう今日の山行の雰囲気は決まっていた。
慌ただしさとは無縁の、落ち着いた空気がそこにあった。
登り始めてすぐ感じる“穏やかな山”の雰囲気

歩き出してすぐに、この山は急かしてこないと感じた。
無理のない登り、素直な登山道、静かな樹林帯。
特別な景色が現れるわけではないけれど、歩くリズムが自然と整っていく。
飯士山は、ただ淡々と歩くことを許してくれる山だった。
誰とも会わない時間が心地いい

しばらく歩いても、前にも後ろにも人の気配はない。
誰とも会わない時間が、こんなにも心地いいものだったとは。
考え事をしてもいいし、何も考えなくてもいい。
足音と呼吸だけが続く時間は、いつの間にか頭の中を静かにしてくれた。
町を見下ろす穏やかな展望、それでも主張しすぎない飯士山

飯士山は、展望がない山ではない。
登るにつれて木々の隙間が増え、視界が開ける場所からは、眼下に町の景色が広がる。
遠くの稜線や大きな山塊ではなく、人の暮らしが見える展望だ。
この景色が、飯士山らしいと思った。
標高の高い山で見る大展望とは違い、町が近く、現実と地続きの風景。
それでも不思議と騒がしさはなく、むしろ落ち着いた気持ちになる。
車が走る道路や家並みを見下ろしながら、今自分は少しだけ高い場所に立っているのだと実感する。
山の中にいながら、日常を遠くに感じられる距離感がちょうどいい。
飯士山の展望は、感動を押しつけてこない。
ただ静かに広がっていて、こちらが目を向けた分だけ、きちんと応えてくれる。
その控えめさが、この山の穏やかな時間とよく合っていた。
山頂の静けさと、長居したくなる空気

山頂に着いても、その静けさは変わらない。
賑やかな会話も、順番待ちもない。
ただ、風が吹き抜ける音と、少しの達成感。
特別なことは何も起きないけれど、なぜかすぐに立ち上がる気にはなれず、しばらくその場に腰を下ろしていた。
下山|最後まで変わらない穏やかさ

下山に入っても、飯士山の印象は変わらない。
慌ただしさもなく、緊張感も少ない。
最後まで一定のリズムで歩き続けられる。
登りも下りも含めて、一つの穏やかな時間だった。
派手さはない、だからこそ印象に残る飯士山
飯士山は、人に強く勧めたくなるタイプの山ではないかもしれない。
でも、静かに山を歩きたい日には、確実に思い出される存在だ。
派手さはない。
だからこそ、心に余白を残してくれる。
新潟百名山の中で、そんな役割を持った山が一つくらいあってもいいと思う。

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